こんにちは
最近、旅行をしたいなあと何気に考えることが
あります。
けれど、どこへ行きたいのか?
なにをしたいのか?
本当なら思うはずのことがまったく頭に浮かびません。
そこで改めて、どこに行きたいのか?なにをしたいのか?を
考えます。
これまでも旅行にはいきました。
長野県、宮城県、北海道、山口県など
そこで善行寺さんをみたり、出雲大社を見たり、
地元の新鮮な海鮮ものを食べたり、地酒を飲んだり。
ところが、今その旅行をもう一度してみようと考えると
なにかしっくりこない気分になるんです。
見に行くところ、訪れたいところをピックアップして
予定通りに行動して、宿泊をして翌日に帰るまでの時間で
さらに見歩いて電車に乗って帰ってくる。
それはそれで正しいと思うんです。
もし、目的もなく適当に見歩いていたら、あとになって
あそこに行っておけばよかったと思ったり、行ってみた場所に
予備知識がなくてなんとなく見て回っただけの感想になったり。
正しいのは正しいんですが、自分で建てたプログラムを
こなして帰ってくるだけの感じがするんです。
例えば、出雲大社。
あまりにも存在が大きすぎてその感動が十分に理解できないまま
観光してしまって、夜にホテルに戻ってもその一日になにか
物足りなさを感じたりしてるんです。
北海道でうまい海鮮ものを食べても、やはり同じように
物足りなさを感じます。
神宮参拝に伊勢に行くときだと、おつとめをしているだけで
旅行という感じではないですね。
前年にいただいたお札を納めに行って、新しいお札をいただいて
目的は終了。あとは鳥羽の方へ行って牡蠣を食べて帰ってくる。
<ちなみに、「伊勢神宮」の呼称は正しくないそうです。
「神宮」が正しいのだそうです。
多分それは、「御所」と言えば京都にあるもので、それを
「京都御所」というのがおかしいのと同じなのでしょう。>
思うに、これまでの旅行は身の丈に合ってなかったような
気がします。
旅行に期待するのは、ホテルに戻ってもまだドキドキや
ワクワクが続いているような気分にさせてくれるものなんです。
もし、ありがたいお経を聞いたとしても、造詣がなければ
なんとなくありがたいものを聞かせてもらっているのだなあという
気持ちにはなっても、ちんぷんかんぷんな面持ちで聞いていること
でしょう。それが造詣の深い人が聞いたなら興奮は止まらず
夜になって寝付くまでドキドキしているのではないでしょうか。
自分の身の丈にあった旅行ができれば、ドキドキ、ワクワクと
いった興奮を途切らせることなく帰路につける気がするんです。
では結局、自分はどこへ行って、何をすればいいのか
またそこへ考えが戻ってしまいます。
最近、旅行をしたいなあと何気に考えることが
あります。
けれど、どこへ行きたいのか?
なにをしたいのか?
本当なら思うはずのことがまったく頭に浮かびません。
そこで改めて、どこに行きたいのか?なにをしたいのか?を
考えます。
これまでも旅行にはいきました。
長野県、宮城県、北海道、山口県など
そこで善行寺さんをみたり、出雲大社を見たり、
地元の新鮮な海鮮ものを食べたり、地酒を飲んだり。
ところが、今その旅行をもう一度してみようと考えると
なにかしっくりこない気分になるんです。
見に行くところ、訪れたいところをピックアップして
予定通りに行動して、宿泊をして翌日に帰るまでの時間で
さらに見歩いて電車に乗って帰ってくる。
それはそれで正しいと思うんです。
もし、目的もなく適当に見歩いていたら、あとになって
あそこに行っておけばよかったと思ったり、行ってみた場所に
予備知識がなくてなんとなく見て回っただけの感想になったり。
正しいのは正しいんですが、自分で建てたプログラムを
こなして帰ってくるだけの感じがするんです。
例えば、出雲大社。
あまりにも存在が大きすぎてその感動が十分に理解できないまま
観光してしまって、夜にホテルに戻ってもその一日になにか
物足りなさを感じたりしてるんです。
北海道でうまい海鮮ものを食べても、やはり同じように
物足りなさを感じます。
神宮参拝に伊勢に行くときだと、おつとめをしているだけで
旅行という感じではないですね。
前年にいただいたお札を納めに行って、新しいお札をいただいて
目的は終了。あとは鳥羽の方へ行って牡蠣を食べて帰ってくる。
<ちなみに、「伊勢神宮」の呼称は正しくないそうです。
「神宮」が正しいのだそうです。
多分それは、「御所」と言えば京都にあるもので、それを
「京都御所」というのがおかしいのと同じなのでしょう。>
思うに、これまでの旅行は身の丈に合ってなかったような
気がします。
旅行に期待するのは、ホテルに戻ってもまだドキドキや
ワクワクが続いているような気分にさせてくれるものなんです。
もし、ありがたいお経を聞いたとしても、造詣がなければ
なんとなくありがたいものを聞かせてもらっているのだなあという
気持ちにはなっても、ちんぷんかんぷんな面持ちで聞いていること
でしょう。それが造詣の深い人が聞いたなら興奮は止まらず
夜になって寝付くまでドキドキしているのではないでしょうか。
自分の身の丈にあった旅行ができれば、ドキドキ、ワクワクと
いった興奮を途切らせることなく帰路につける気がするんです。
では結局、自分はどこへ行って、何をすればいいのか
またそこへ考えが戻ってしまいます。
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